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プロフィール

ゴパルのヒストリー

ゴパルの子ども時代の良い思い出は、音楽に関するものばかりでした。彼のお父さんはクラリネットとマンドリンを演奏していました、夜であっても、自分の小さな息子のゴパルがベッドに入って眠りに落ちるときには、音楽を演奏したものでした。

多分そういうわけで、ゴパルは子どもの頃から音楽を演奏したいという自然な衝動を持っていました。小さな子どもだった彼の最も大きな望みは、今すぐ手が大きくなって、ギターの演奏を習えるようになったらいいのに、というものでした!

この音楽を演奏することへの渇望を感じ、お父さんは彼に小さなウクレレを与えました。その後、彼とお父さんは、いつでも可能なときには一緒に音楽を演奏しました。彼のお父さんが亡くなるその時までずっと。あたかも円を完結させるかのように、ゴパルはお父さんが大好きだったクラシックギターの曲を、彼が死んだ時に演奏したのでした。

このハートからハートへの、父との音楽的つながりはゴパルの人生に大きな影響を与え、彼の創造的音楽表現の基礎となりました。


東洋に引き寄せられる

ゴパルはカナダに生まれ、そこで大学教育を受けました。インドに行きたいという神秘的な衝動を感じた時は、ちょうど大学院の課程に入り、大学から申し出のあった教職に着くところでした。彼はインドにいる瞑想の導師について話を聞き、未知の道を探求したいという渇望を感じたのです。

ある朝目覚めると、ゴパルはハートの内側で、自分はインドに行くのだと知っていたのです - 彼自身の深みからの何かが彼を呼んでいました。
"Venu Gopal"(ヴェヌー ゴパル)は、彼の瞑想の師であるOSHOに面会した後に、彼が授かったインドの名前です。この新しい名前は、内側の旅の始まりの印となりました。他の瞑想者達と一緒にOSHOのコミュニティーに暮らし、ゴパルは瞑想と音楽により深く入って行きました、瞑想と音楽がどのように出会い、一緒に溶け合うのかを見出しながら。


ディルルバとの出会い

インドで、ゴパルは多くの普通ではない楽器と音を発見し、探求しました。彼は特に「ディルルバ」(ディル-ルーバと発音される)と呼ばれる弦楽器に惹きつけられました。

楽器の名前、形と音は全てdirlubaという単語の美しい意味の中に反映されています。それは「ハートの恋人」、「ハートの声」、または「ハートの盗人」を意味します。弓でひかれた弦と共鳴して振動する、多くの共鳴弦があって、リッチで、よく共鳴する、甘い音を奏でるのです。

ゴパルは初めて聴いた瞬間からディルルバと恋に落ちました。それは本当にハートの盗人でした。


音楽の先生を見つける

何人かのインドのミュージシャンはゴパルに、ディルルバは「時代遅れ」で、博物館用の楽器に過ぎず、もうほとんど演奏されることはないと告げました。それにもかかわらず彼は最初のディルルバを手に入れ、自分を導くことのできる教師を探し始めたのです。

彼は引退したミュージシャンに出会いました、でもその人はもう教えたがってはおらず、その上に殆ど英語を知らないという障害がありました。しかしゴパルはディルルバを演奏したいと心に決め、その教師のドアを叩き続けました。ついに、その男はゴパルにいくつかの基本的な段階のことを教えることに同意し、そして彼らは特別なハートとハートの関係性を発達させました。言葉はほとんどありませんでしたが、音楽に満ちていました。

ゴパルにはその頃の良い思い出があります。その老教師の演奏に耳を傾けると、時々目から涙が流れるのでした。この音楽とハートとの出会いは、彼の人生を豊かにし、彼をディルルバの神秘的な世界の中へと、より深く、より深く、導いたのでした。


自分自身のスタイルを発達させる

インドの暖かい夜には、ゴパルはよく屋外でディルルバを演奏しました。友人達や見知らぬ人達、ただの通行人達が自然に足を止め、座って耳を傾けたのです、まるでいくつかの単純な音に捕まったかのように。彼はこの楽器の甘く優しい力を理解し始め、それは友と出会う方法の一つになったのです、言葉が表現することができるよりも深くコミュニケーションする方法に。

ゴパルは伝統的な方法とは違うやり方でこの楽器を演奏します。彼はディルルバには幅広い「色」域があることに気づきました。深く豊かなトーンから、高く甘いサウンドまで。遊び心から、ハートに触れる感情まで。その優しく、しかしパワフルなサウンドが、古代からやってきているように思えて、「家に帰ってきた」という感覚が沸き起こる人達もいます。


ディルルバとともに瞑想

瞑想を通してゴパルは、音楽における音と音の間の沈黙のギャップは、素晴らしいものであると理解するようになりました。忙しいマインドを超越していく入口になりえるのです。沈黙にスペースを与える音楽には、聴き手が内側の平安に満ちた音無きところに入っていくのを、許すことができるのです。この音楽の質は、彼のアルバム"Depth of My Heart: Solo Dilruba(ハートの深 み:ソロ ディルルバ)"で表現されています。

その瞑想的な質の他にも、ディルルバは他の楽器ともよく合うハートフルなサウンドを持っていて、ハートに触れ、心身をリラックスさせる豊かなサウンドのタペストリーを創りだすのです。これは"Mystic Journey(神秘家の旅)," という、ディルルバをメインにして、他の楽器と組み合わせたアルバムで聴くことができます。

ゴパルの音楽は特に、ソフトな動き、ヨーガ、マッサージ、ヒーリング、瞑想、トランス状態、リラクゼーション、そして入眠時に聴くことによく合います。彼の音楽には自然な内面の質があって、聴き手を音から音無き状態へ、忙しい世間から、全ての人の中に宿っている内なる静けさへと連れて行くのです。


教えとコース

ゴパルは東洋の瞑想を、西洋のカウンセリング、心理学そして催眠の教育と組み合わせました。彼は瞑想、カウンセリング、自己催眠そしてストレス軽減について、世界的に開かれている様々なコースを提供しています。

教えている間、ゴパルはくつろいで遊び心に満ちた空気を創り出します。それにより人々は自分自身の内側へとより深く入って行きます。無垢や本質といった子どものような質が、簡単に再び目覚めさせられるのです。

教える他にも、ゴパルは時折ディルルバのレッスンをしたり、友人達が自分自身の楽器 - 歴史があり、美しく、愛すべきディルルバ - を見つけるのを助けたりすることを楽しみます。


探求者の物語

次の物語は一人の若者の探求についてのものです。それはまたゴパルの物語でもあります。

ある若者が、愛に満ちた両親と兄弟のいる西洋の中流家庭で育ちました。成長して彼は教師になり、博士号のための勉強を始めるところでした。彼はその年令の人が欲しがるような全てのものを持っていました。愛のある家族、明るい未来... 生は彼 に惜しみなく与えていました。

その若者は生きることの喜びを感じました、人生が満ちているという感じです。でも同時に彼は知りたいと思ってもいたのです、「人生とは実際のところ何なのだろうか?人生にこれ以上の何かは存在するのだろうか?」
この神聖な不満の目覚めとともに、彼は旅に出てインドに行き、神秘家、瞑想のマスター、OSHOに会うことに引き寄せられていると感じたのでした。その旅は彼の人生を永遠に変えました。それは彼に沢山の新しいドアを開きました。彼はインドとその波動を愛しました...それは神聖なシンクロニシティーの感覚、正しい場所に正しい時にいるという感覚でした。

その若者は、自分のマスターから愛と知恵をシャワーのように浴びせられているのを感じ、内側の旅が始まったことに気づきました。人生にはもっと何か別のものがあるに違いないという彼の質問は、鳴り響く"Yes!"という声で答えられました。彼は自分が正しい方向に進んでいたと知ってほっとしました。たとえ最終目的地がどこかはわからなかったとしても。このマスターは若者が瞑想により深く、より深く入って行くことを助けました。マスターの死ですら、一人一人の人間の内側の、死というものが存在しない何かを示したのです。それは生は神秘的な覚醒の旅であり、愛は時間と空間を超えているということです。

夕方、太陽が沈んでいくとき、若者はインドにある小さな川のそばに座っていました。すると、彼のハートに、誰かの奏でている未知のインド音楽の楽器から来る、美しい音楽の響きが聞こえてきたのです。彼はそれらの音にひかれて、近くに座りました。あたかも彼の瞑想のマスターが彼のハートに触れたときのように。まるでトランス状態にあるかのように。それらの魔法の音はずっと記憶に残ることでしょう、なぜなら彼のマスターがハートに触れたのと同じやり方で彼の内なる魂に触れたからです。その瞬間から、ディルルバは彼にとっての瞑想となりました。学ぶこと、演奏すること、聴くこと、それと一つになること。それは言葉を超えた何かを携えた表現の、媒体だったのです。ついに彼は、音楽と瞑想が手に手を取って踊ることができるとわかったのでした。

長い年月が過ぎましたが、この男は音楽を教え続け、演奏も続けています、喜びと静寂とともに。生は流れ続けます...そして神秘家の旅は続きます...愛と感謝に満ちていることを伴って。

 

 

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